栃木県弁護士会からのお知らせ

栃木県子どもを犯罪の被害から守る条例に対する意見書

2013年(平成25年)3月6日
栃木県弁護士会


意見の趣旨
1  栃木県は、条例制定前にその立法の必要性については、慎重かつ十分に検討すべきである。
2  子どもポルノの定義を限定し、かつ明確化すべきである。
3  廃棄命令等違反についての罰則規定や立入調査等の規定は設けるべきではない。
4  子どもに不安を与える行為の禁止規定や子どもを威迫する行為の罰則規定を設けるべきではない。
5  子どもを守るためとの名目で刑罰を新設するのではなく、県民の子どもを被害者とする性犯罪に対する不安を
 和らげるような諸政策をすすめるべきである。

意見の理由
1  はじめに
 当会は、子どもポルノの所持や子どもに不安を与える行為及び威迫行為が子どもに対する人権侵害行為であり、このような行為が社会から撲滅されることは望ましく、その意味では本条例の目的とするところに異論はない。しかしながら、本条例が上記行為につき刑罰を科すべき、あるいは禁止すべき行為とするには多々問題点があると思料するものであり、そのような見地から本意見を述べるものである。

2  本条例制定の立法事実について
 本条例を制定するに至った経緯としては、平成17年12月に発生した旧今市市内で発生した女子児童殺人・死体遺棄事件(以下今市事件という。)が未解決のままとなっていることや、今市事件を背景として子どもの生命身体に対する保護者等の防犯意識が強まっていることが考えられる。
 確かに今市事件の未解決は遺憾なことではあるが、統計的数値からすれば、13歳未満の子どもを対象とする新しい刑罰創設を含む条例制定は、立法事実が薄弱というべきである。
 まず、本条例案に先立ち作成された平成24年9月19日付「児童を犯罪の被害から守る対策について」(以下報告書という。)には、本条例案の立法事実として、今市事件の未解決以外に、平成14年以降性犯罪以外の身体犯と性犯罪を比較すると13歳未満の子どもが被害者となる割合が高くなっていること、年齢層が低い子どもが性犯罪の被害を受けた場合、誘い込みなどの行為が伴っている割合が高いこと、つきまとい事案が平成22年から急激に増加していること、児童ポルノ事犯の検挙件数が増加傾向にあることがあげられている。
 しかしながら、報告書でも示されているように性犯罪全体の数が県内においては、大幅に減少しているのであり、身体犯に比較して性犯罪において13歳未満の子どもが被害に遭う割合が高いからといって、13歳未満に対する性犯罪が以前に比べ増加しているとはいえない。13歳未満に対する性犯罪が増加しているというのであれば、当然そのような統計資料が立法事実として指摘されるべきところ、報告書においてもそのような統計上の指摘はなされていないのである。これに対しては、性犯罪はかねてから表面化していない暗数の存在があり、統計上の数字は参考にはならないとの意見もあろう。しかし、今市事件の発生を契機に特に13歳未満の子どもに対する防犯意識が大幅に高まっている昨今、子どもに対する性犯罪暗数は減少し、統計資料は実態に近づいているのではないかと思われる。
 また、誘い込みが13歳未満の子どもに対する性犯罪に伴っている割合が高いとしても、13歳以上を被害者とする性犯罪と比較すれば、被害者が幼い以上誘い込みが多いのは当然のことであって、それを特別のこととしてあえて立法事実とする理由にはならない。  
 つきまといが平成22年に急増しているというのは、それが平成18年から平成21年にかけて大幅に減少しているにもかかわらず、平成21年から平成22年にかけて2倍以上になっていることなどからみても、当該統計が年度によってばらつきが大きいことからして、性犯罪に比べ暗数に影響されている可能性も考えられ、その資料としての価値に疑問がある。
 県内における児童ポルノ事犯の増加傾向については、小学生以下を被害児童とするものは全般的に少ないため、そのほとんどが中学生以上の子どもに対する児童買春事犯の増加によるものと考えられる。児童買春事犯は対価をもって子どもと性交等を行う犯罪であって、非行性のある少年少女の存在を背景とする犯罪であることはいうまでもない。同意や対価の有無にかかわりなく成立する13歳未満の子どもを被害者(そのほとんどに非行性はないと思われる)とする性犯罪とは、その罪質を大きく異にするものである。このことからすれば、児童ポルノ事犯の増加を根拠とする本条例制定の必要性には疑問を持たざるを得ない。
 さらに、今市事件から7年以上が経過しているところ、その後に13歳未満の子どもを被害者とする凶悪事件が発生しているとの事実も存しない。
 以上からすれば、本条例制定の立法事実は存在しないか、あるいは薄弱であるというべきである。

3  子どもポルノの定義について(第2条)
 本条例の子どもポルノの定義は、「児童買春、児童ポルノに係る行為等及び児童の保護等に関する法律」(以下児童ポルノ法という。)の「児童ポルノ」の定義にしたがっている。
 現行児童ポルノ法では同法2条3項2号及び3号でその定義がなされているところ、2号では「性欲を興奮させ又は刺激するもの」、同3号では「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」と規定されている。しかしながら、このような定義規定は極めて広範囲に及ぶ可能性があり、かつ曖昧・不明確というべきである。
 すなわち、子どもポルノの定義を所持者の主観によるとしているため、捜査機関の恣意的判断によって処罰範囲が広がったり、不明確になる危険性があるというべきである。例えば、単なる子どもの水着写真や出産直後の嬰児の裸体であったとしても、場合によっては、所持者の「性欲を興奮させ刺激するもの」と解釈する余地があることになる。
 その一方で、着衣をつけたまま性器等以外の部分(例えば尻や乳首周辺)を触るといった性的虐待にあたる可能性のある行為も、子どもポルノにあたらないという不都合も生ずる。
 そもそも子どもポルノを規制することによって守られるべき法益は、被写体となる子どもの権利でなければならならず、これを行為者の主観によらしめる現行児童ポルノ法の定義は、過度に広範かつ不明確というべきであり、この定義による本条例にも同様の批判があてはまる。

4  廃棄命令等(9条)、立入調査等(10条)について
 廃棄命令の規定は、子どもポルノの単純所持が即処罰を受けるものではなく、聴聞手続きを経た廃棄命令に違反した場合に限って刑罰を科す規定であり、一応処罰範囲を限定する趣旨の元に設けられたものと考えられる。
 しかしながら、廃棄命令違反の前段階である子どもポルノの所持は、自らの意思によらずに第三者の手によってもたらさせることは極めて容易である。すなわち、本人の知らないうちに子どもポルノを送りつけたり、メールに添付して送付することによって、子どもポルノを所持するに至ることは簡単にできる。このような場合、所持者が自らの意思によらずに所持に至ったことが認められれば、廃棄命令は出されないであろうが、所持していた時間が長期にわたっていた場合など、聴聞手続きにおける反論が困難となる事態も予想される。そのような場合、誤って廃棄命令が出され、自らの意思で所持していたものではないとの理由で廃棄に応じなければ、冤罪が発生する可能性も否定できない。近時パソコンの遠隔操作による誤認逮捕事件が複数発生したことにもかんがみ、インターネットなどを通じて本人の意思によらず、子どもポルノを所持するに至った場合には、同様の事態が発生するかもしれないことに思いをはせるべきである。
 立入調査については、「公安委員会は廃棄命令等を行うために必要があると認めるときは、関係者に対し報告若しくは資料の提出を求め、警察官に子どもポルノ若しくは子どもポルノ記録が所在する場所に立ち入り、調査を行わせ、若しくは関係者に質問させることができる」としている。
 この規定は法文上任意調査としか解釈する余地はないが、立入調査や質問を行う主体が警察官であるため、児童相談所が行う強制的調査以上の強制力があるとの誤解を与える可能性がある。だとすれば、警察官の任意の求めによって調査を行うものとしても、事実上の捜索に近いものとなる危険性は高く、被調査者の権利侵害が発生する可能性もあろう。また、資料の提出を求められ、調査を受ける「関係者」の概念もあいまいであり、いかなる者がいかなる場合に調査を受けるのかについても明確ではない。
 以上からすれば、廃棄命令等や立入調査等の規定は削除されるべきである。

5  子どもに不安を与える行為(第6条)の禁止、威迫する行為(7条)の刑罰化について
 子どもに対する正当な理由のない声かけが禁止されるのであれば、子どもを取り巻く大人に対する萎縮効果をもたらす危険性が高い。地域住民による子どもに対する声かけは、子どものコミュニケーション能力を高める効果をもたらしたり、地域住民と子どもの連帯感を深めるといった効用があろう。しかるに、正当な理由のない声かけが禁止されるのであれば、あらぬ誤解を受けたくないとの理由から、大人が子どもに対する声かけを躊躇するといった副作用がもたらされよう。このような副作用が発生することは、県、県民、事業者など社会全体で子どもを守ることをその理念とする本条例の望むところではないはずである。
 また、保護監督者が危害を排除できない状態にある子どもに対する威迫行為が処罰の対象となっているが、威迫行為か否かは外形的な行為から判断することが難しい場合もあり、目撃者や子ども自身の供述内容いかんによっては、あるいは虚偽自白によって、冤罪を発生させる危険性もある。そして、被疑者が犯行を否認した場合には、子どもの供述と被疑者の供述の信用性の比較の問題が生ずる。この場合、13歳未満の子どもに対し、捜査官が詳細な供述を求めることになろう。法定刑が30万円以下の罰金という微罪捜査のために、子どもの詳細な供述が求められるということは、子どもに対する負担が大きく、かえって子どもの人権を守るという本条例の目的に反しかねない。また、13歳未満の子どもから信用性の高い供述を得るには、いわゆる司法面接の技量が求められるところ、我が国においてはその手法も立法も確立されていないため、誘導などにより子どもの供述がねじまげられた結果、冤罪が発生するおそれがある。
 

6  子どもポルノ所持についての廃棄命令違反や13歳未満の子どもに対する威迫行為が刑罰化されているのは、2、3の府県にとどまっている。児童ポルノ単純所持の禁止については、国会で審議された経緯があることからしても、子どもポルノの廃棄命令違反の犯罪化は、児童ポルノ法の改正という国民的論議を経たうえで全国的な規制として行うべきであるのに、栃木県が全国に先立ってこれを刑罰化する必要性は乏しい。13歳未満の子どもに対する威迫行為の犯罪化については、法律制定の動きすら存在しない。
 子どもポルノの所持や子どもに不安を与える行為及び威迫行為が、子どもに対する人権侵害行為であることが県民に浸透しておらず、それゆえ、子どもに対する性犯罪が繰り返されているというのであれば、学校教育や社会教育における啓発活動、性犯罪者に対する更生プログラムの受講の充実などによって、子どもに対する性犯罪撲滅を図るべきである。
 また、今市事件以降、子どもを守るための地域の防犯活動やパトロールは以前と比べ著しく充実したものとなっている。栃木県はこのような活動を推進する以上に、県民の子どもの生命、身体に対する不安感を和らげるような形での政策を推し進めるべきである。具体的には県民に子どもに対する性犯罪に関する正確な動向を示す統計的数値をわかりやすく、より詳細に提供することなどが必要である。このような客観的な統計的数値や、警察の性犯罪に対する日頃の取り組みやその成果を示せば、子どもに対する性犯罪への県民の不安もある程度は和らぐものと考えられる。これに対し、あいまいな不審者情報などに基づいた不正確な情報や、子どもをもつ親の不安を助長するような偏った情報を流すことは禁物である。

7 まとめ
 以上のとおりであり、栃木県は拙速な条例制定をするべきではない。また、平成25年2月19日の条例案の上程に先立っては、条例案の概要しか公表されておらず、それに対するパブリックコメントを募るのみでは、県民の十分な意見を集約したものといえるかも手続き的に疑問であり、再度条例案を示した上でパブリックコメントを募集し、審議すべきである。
以上